【3つの視点と5つの要素】外食企業の人事課題【人材版伊藤レポートより】

令和2年9月に経済産業省より発表された 「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 ~人材版伊藤レポート~」 の内容に基づき外食企業の人事課題について解説いたします。

なお、同報告書の原文は経済産業省のウェブページよりご確認ください。 また、報告書の概要はBusiness Lawyersの記事に大変分かりやすくまとめられておりました。

飲食店を取り巻く人事課題

重要な事実は、企業価値の主要な決定因子が有形資産から無形資産に移行していることである。無形資産の中でも人的資本は経営の根幹に位置づけられるべきものである。その意味で人的資本の価値創造は企業価値創造の中核に位置する。 (「人材版伊藤レポート」より抜粋)

飲食店も例にもれず、”人”が生み出す価値の重みがますます重要になってきています。

ひと昔前に比べるとお店を開業するハードルはずっと低くなりました。
例えば、

  • 物件はネットで調べられます。
  • 厨房機材は中古品含めてしっかりしたものが手に入ります。
  • 大抵の食材は個人店でもすぐに仕入れが可能です。
  • 店舗運営ノウハウは書籍でもネットでも手に入ります。
  • 有名店や大手チェーン店出身のコンサルタントに頼めばメニューも開発してもらえます。
  • フランチャイズ加盟すればメニューから看板からその評判まで含めて個人が手に入れることもできる時代です。
  • 低金利時代にあって創業時の資金調達も容易になっています。

しかし、これらは周りの競合も同条件、一緒の環境です。
以前はこれらの知識、スキルあるいは人脈の有無がお店の競争力にとって重要なポイントになっていましたが、今やその重要性は薄れてきているのです。
そして、それでも残る競争力の重要なポイントが”人”になってくるのでしょう。

お店にお客様をお迎えする場合、基本的には作り置きのきかないものです。お料理も接客も”今””ここ”で、そこにいる従業員が作業し対応しなくてはならないものです。
この”今””ここ”の作業で価値を作り出すことができなければ、容易にマネできないものを作り出せなくては、お店の競争力は薄れていくと思うのです。

一方でこの”人を強くする”という観点において、飲食業は構造的に次のような課題を抱えています。

  • 非正規雇用が多い
  • 離職率が高い
  • 勤務地が分散し、営業時間が長いことで対話の場を作りづらい


結果的に、

  • 企業文化が定着しない
  • 教育研修が非効率になりがち
  • そして、人財が貯まらない育たない

だから、会社が店が強くならない、これが飲食店の人事課題で最も大きなものではないでしょうか。

それではこうした課題にどのように対処すべきなのか、「人材版伊藤レポート」では人事課題に対する取り組みとしてまず「3つの視点」を掲げています。

3つの視点で俯瞰する
  1. 経営戦略と人材戦略の連動
  2. 戦略遂行における定量分析
  3. 企業文化への定着

そして、この3つの視点を持ちながら、取り組むべき「5つの共通要素」があると言っています。

5つの共通要素に取り組む
  1. 従業員エンゲージメント
  2. 動的な人材構成
  3. リスキルと学び直し
  4. 多様な知識・経験の受け入れ
  5. 多様な働き方


3つの視点で俯瞰する

「コロナ危機に対して「より良い世界に戻そう」 (“Build Back Better”)という姿勢は否定しないが、むしろこのショックを 「強い意志で未来を柔軟に創り変える」(“Build Forward Better”)機会とすべきだ。」 (「人材版伊藤レポート」より抜粋)

1.経営戦略と人材戦略の連動

経営理念のための経営戦略が策定できているか、さらに、経営戦略のための人材戦略ができているか。

店舗あるいは会社のあるべき姿を経営理念として定められているでしょうか。
経営理念が明かで力のある言葉で表されていれば、自ずとやるべきこととやってはいけないことが明確になるはずです。

これに外部環境の動向を加味し、行動計画、計数計画に繋げていくべきものが経営戦略となります。 そして経営戦略実現のための人材のギャップをいかに満たしていくのか、これが人材戦略になります。理想を言えばキリがありません。

しかし理想がなければ事業の意味も価値もありません。
できることとできないこと、やりたいこととやりたくないこと、理念という明かりでこれらを照らした時に、どこに光を見出すのかが経営戦略と人材戦略の役割といえます。
そして人材戦略は経営戦略実現のために、経営戦略は経営理念実現のために常に連動させていかなくては組織はバラバラになってしますのです。

2.戦略遂行における定量分析

あるべき姿が明確で定量化できているか、さらに、定量化された指標の振り返りができているか。

人の記憶は曖昧なもので、思い込みや先入観によるバイアスは避けられないものです。定量化は万能ではありませんがそうした個人の主観を補うことのできる重要な手法だと思います。
経営戦略も人材戦略もその目的を定量的に測れる指標を定め、定期的に振り返り、必要に応じて行動計画を修正できなくてはなりません。それは大洋を渡る航海において、海図とコンパスを準備するようなものです。

このような”戦略遂行における定量化”に際しては注意すべきポイントがあります。

数字は精度よりも鮮度
会計の数字とは異なり、精度を高めることよりも鮮度を高める方が往々にして重要になります。
もちろん的外れな数字は使い物になりませんが、どの程度の精度の数字かを予め決めておき、そこそこの精度で抜群の鮮度の数字を出すことに価値があります。

一つだけの指標で表そうとしない
一つの数字で表せるのは物事の一側面でしかありません。一方で経営理念も戦略も多面的な要素を持つものです。
異なる側面から3つ程度の指標を追いかけるのが良い進め方かと思います。

進捗確認と意思決定の場を持つ
どんなに立派な定量分析も意思決定に繋げることができなければ経営に貢献することはできません。
経営幹部が同じ場で定量分析の報告を受け、その場で判断を下す場が必要となります。

3.企業文化への定着

理念、戦略の考え方が組織に浸透しているか、さらに、組織や個人が率先して取り組めているか。

こと飲食店においては”今””ここ”において判断を要する場面が非常に多くあります。
思いもかけない状況、思いもかけないお客様、思いもかけない要望にその場で判断して対応できなくてはなりません。

そしてその判断をするのはその場にいる一人一人の従業員です。 先の読めない時代、変化の激しい時代と言われていますが、そのような中あらゆることを想定してマニュアルを作り教育していくことは現実的ではありません。

一方でマニュアルにないから、判断できないから”何もできません”ではこれからの競争に取り残されてしまうでしょう。
作業マニュアルの読み合わせ、現場でのOJTはもちろん必要ですが、まずは理念、戦略を従業員が理解し、自ら判断して取り組める状態にしていく必要があるのです。

5つの共通要素に取り組む

「コロナ禍は、「常識」を疑い、「慣性」に抗い、大きな変化のムーブメントを起こす好機でもある。これからは、人的資本の価値を最大限に引き出す方向に創造的かつ柔軟に変われる企業と、
そうでない企業との間には、埋めがたいほどの企業力の差が生ずるだろう。」 (「人材版伊藤レポート」より抜粋)

以上のような3つの視点から取り組むべき共通要素として次の5つがあげられています。

1.従業員エンゲージメント

社員からパートタイマー、アルバイトまで含めて個人の貢献意欲を高める取り組みができているか。

従業員がその仕事にやりがい、働きがいをもち自発的主体的な取り組みを促すためには何が必要でしょうか。多くの現場で不足していると感じることは、

  • 対等な個人として相手を認め話を聞く姿勢
  • 事業の意義目的を伝え、一緒に考える場
  • 経営の数字や取り組み課題の進捗を知ることのできるツール

の3点にあります。

ただ作業を指示するだけ、あるいは勝手に自発性を期待するだけでは何も変わりません。学生アルバイトだからと軽んじることなく個人を認める姿勢をもち、対話の場をとって、誰もが知ることのできるツールを整えていかなくてはなりません。

2.動的な人材構成

必要なスキルと人数が人材戦略から明らかになっており、過不足に対してダイナミックに対応できているか。

採用の主目的が人手不足の解消、不足人員の補充だけになってしまっている。人事部長の関心が”どの媒体に幾らかけるか”に偏ってしまっているところも多いようです。しかし魅力的な店、魅力的な事業には人が集まってくるものです。その魅力的な店、事業を作っていくにはどのようなスキルで何名を採用する必要があるのか、前例にとらわれず考え実行していかなくてはなりません。

3.リスキルと学び直し

あるべき姿との差を埋めるための教育研修制度が運用できているか

事業が停滞、縮小していったときに採用と教育研修は経費削減の項目にあがりやすいものです。
しかし時代環境の変化に対応する、成長のための経営戦略と人材戦略が打ち立てられたなら、自ずと教育研修制度の充実が必要になってきます。

教育研修制度の運用で直面する課題として3つあげたいと思います。
まず、すぐには効果が実感できないからといって簡単に辞めないこと。KPIを設定し振り返りと改善を欠かさないこと。 さらに、教育をしても誰もが成長できるとは限らず、逆に期待した人が成長しないことが往々にしてあると理解し、できる限り多くの人を対象とすることです。

素晴らしい業績をあげ世間に認められる企業で、独自の教育研修制度を長年運用しそれが成果に繋がったという話は多く聞くことができるはずです。
信じて取り組み続けることが何より重要と言えるでしょう。

4.多様な知識・経験の受け入れ

女性、中高年、国籍のほかそれぞれの家庭環境からくる多様性を受け入れ、対話ができているか

いうまでもなく、成人男性の人口構成比は今後減り続ける一方です。
しかし女性の占める割合は変わることはないでしょう。
中高年の比率は上昇する一方です。移民受け入れの議論を待つまでもなく国籍は多様化していきます。

それは従業員に限らずお客様も同様です。 お客様のことを理解するのに従業員が近い立場にいなくてはその理解もおぼつかなくなってしまうでしょう。
人員を揃えるため、にとどまらず、そうした顧客理解の観点からも多様性の受け入れと対話が必要になってきます。

5.多様な働き方

働き方が画一的で時間や場所にとらわれていないか

今回のコロナ禍を受け世の中ではテレワークの推進や副業の活用、フリーランスあるいはギグワーカーの拡大などがみられました。
こうした特殊な状況は1年以上に渡って続いており、受け皿となるプラットフォームの定着と新たな習慣の形成がみられることでしょう。
いずれも飲食店での働き方には無縁のものと思われるかもしれませんが、こうした働き方を今の飲食店従業員が外で選びうるという点においては影響は避けられないのです。

店舗異動が当たり前、月22日176時間出勤が当たり前では今後の人材獲得に支障をきたすといえます。
地域との結びつきが強い従業員、育児や介護を抱える従業員、体調に問題のある従業員に寄り添い受け入れる姿勢と仕組みを作っていかなくてはなりません。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
「伊藤レポート」といえば、2014年8月に公表されたものが有名です。これは経済産業省の「『持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~』プロジェクト」の最終報告書の通称で、企業が投資家との対話を通じて持続的成長に向けた資金を獲得し、企業価値を高めていくための課題を分析しています。ROE8%という目標値をはっきりと掲げたこともあって大きな反響がありました。

伊藤邦雄一橋大学教授(当時)を座長としていたことから「伊藤レポート」と呼ばれています。
今回の「人材版伊藤レポート」は同じく伊藤邦雄教授が「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の座長を務め、最終報告書をまとめたものになります。

飲食業は労働集約型の典型としてしばしば引き合いに出され、その生産性の低さが課題視されてきました。
それでも成長の見込める市場がある限りは、また、安価な労働力の供給が見込める限りにおいては、その課題の優先順位も決して高くはなかったのでしょう。
しかし外食市場の縮小は待ったなし、人手不足と人件費の上昇も待ったなし、この状況が明らかとなった今となっては真っ先に取り組むべき課題となってくるのではないでしょうか。  


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